01.
李氏朝鮮晩年の貴族:両班を中心とした物が、日本の植民地支配に組み込まれ、搾取の道具と化したことは、ブルース、カンミングス「現代朝鮮の歴史」明石書店刊に書かれていますが、典型的な植民地統治で、日本が自慢するような内容ではないと思いますが、資本主義的発展=近代化がすなわち個人の幸福でないことぐらい、今の日本の現状見ればわかりそうなものですが。
資本主義のゆがみが、日本も韓国も襲っているのだよ!近代化以前の北朝鮮は例外だが。
02.
本書は、別に韓国を擁護するとか日本を擁護するとかという目的で書かれたわけではない。“本書は韓国資本主義の発展に関する研究書(P3)”である。
著者は韓国人でも日本人でも無く、米国人である。つまり日韓どちらかの国民感情に左右されず、言わば第三者が書いた本だということだろう。
本書の20ページではオルテガが引用されている。
“人間は、みずからに起こったこと、みずからがなしたことから成る。他のことが起こりえたかもしれず、他のことをなしえたかもしれない。しかし、まさにみずからに起こり、みずからがなしたことが、仮借なき軌跡を形成する経験となる。人間は、すべての財を背に負う放浪者のように、あらゆる経験を背負ってゆくのである。......ようするに、人間は本性を持たない。人間が持つものは......歴史である(オルテガ)”
そして本書の「結論 植民地時代の遺産」において、著者は“歴史はやはり圧倒的勝利を収めた。つまり、過去は現在のなかに能動的に作用しているのである(P334)”とある。
察するに、著者は韓国資本主義の発展を調べていくうちに、オルテガの言葉に呼応した、という事なのだろう。
本書は私にとっては難しいと感じたのだが、歴史考察を深めることができる本だと思った。
03.
仲良くしろよ!
04.
米国の歴史学者による歴史学の本であり, 日本の植民地支配を礼賛する性質のものではない. また,このような学術書からそうした解釈を引き出すのは 客観的な歴史学書を志した著者としても不本意だろうと思う.この本に価値があるのは,豊富な歴史資料を解きほぐしたこと. 植民地時代の朝鮮を研究するにあたっては日本語と韓国語の読解能力が不可欠だが, 両方の言語を巧みに操り,かつその解釈を英語で発表したのは数えるほどしかいなかった. したがってこの分野の研究は日本人と韓国人に限られてきたわけで, 自ずと歴史の解釈に民族色が出る. 「植民地朝鮮の払込資本のうち,朝鮮所有のものは10%に過ぎず,日本帝国主義による搾取の現れである」 という伝統的な解釈に対し, 「その10%に着目してみるのも意味があるのではないか」 という第三者としての米国人なりの解釈を提示. ある紡績会社が置かれていた社会背景や政治的な状況がよく分かる. もちろん,京城紡績という事例が朝鮮人資本家による数少ない成功例の一つであることを鑑みれば, この本を手に取り当時の朝鮮半島の経済状況を一般化するのはできないだろう.
05.
第三者から見れば、当然こうなるという話を書いているだけですが、韓国内ではわずかな抄訳が出回っているだけであるといいます。その理由は、いつものアレですが。 まず、萌芽説(李氏朝鮮時代にすでに商業の芽生えがあったとする説。韓国ではまことしやかに語られている)を完膚なきまでに叩き潰してしまっています。イザベラ・バードなどによる李氏朝鮮時代の記述を見れば当然のことなのですが。 また、朝鮮時代の朝鮮人地主(のちの京紡創設者)による水呑み百姓への苛烈な搾取が語られてもいます。 こういった過去の状況を、併合時代へ投影してしまっているのが韓国の現状であるというのがよくわかります。 ただ、筆者は経済学者であるために、独立運動などの政治的な話題に関してはかなりチープな考察しかできていませんので、その点は割り引く必要があるかもしれません。 しかし、韓国人・朝鮮人っていうのは三国史記・日本書紀の時代からやっていることが変わらないのですねぇ。 機械の購入資金を先物取引ですっちゃって着の身着のままで帰るって……。 現代であってすら何もしないでタバコを吸っている人間が尊敬される風土で、儒教の勤勉に向学精神ねぇ(笑)。
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